高齢期のデフォルトモードネットワーク(DMN)の変化:脳科学が示す意義と臨床的示唆
高齢期における脳の機能変化は、認知機能や行動に多様な影響を及ぼします。その中で、安静時に活動する脳のネットワークである「デフォルトモードネットワーク(DMN)」は、近年注目されている概念の一つです。今回は、このDMNが高齢期にどのように変化し、それが脳機能や臨床現場での観察にどのような示唆を与えるのかについて、脳科学の知見からご紹介いたします。
デフォルトモードネットワーク(DMN)とは
デフォルトモードネットワーク(DMN)は、私たちが特定の課題に集中していない安静時、つまり「ぼんやりとしているとき」や「物思いにふけっているとき」に活動が高まる脳領域の集まりです。主に、内側前頭前皮質、後部帯状回、楔前部、下頭頂小葉、側頭葉内側部などが含まれます。 DMNは、自己に関する思考(内省)、過去の出来事の想起、未来の計画、他者の視点を想像する、といった認知機能に関連していると考えられています。課題遂行時には活動が抑制され、課題に関わる脳ネットワーク(タスクポジティブネットワーク)の活動が高まるという、ネットワーク間の協調的な抑制・活性化のバランスが重要です。
高齢期におけるDMNの変化:脳科学からの知見
脳科学研究、特に機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を用いた研究により、高齢期にはこのDMNの活動や機能的結合に変化が生じることが示されています。
- 活動レベルの変化: 研究によって報告は多様ですが、一部の領域でDMNの活動レベルが上昇または低下する傾向が示唆されています。特に、課題遂行時におけるDMNの活動抑制が不十分になる、「活動の切り替えがうまくいかない」といった変化が指摘されています。
- 機能的結合の変化: DMNを構成する領域間の機能的な「つながり」(活動の同期性)が変化することも報告されています。領域間の連携が弱まったり、あるいは通常は連携しない領域との間で予期せぬ連携が生じたりする可能性があります。
- ネットワーク間のバランスの変化: DMNと、課題遂行時に活動するネットワーク(例:注意ネットワーク、実行機能ネットワーク)との間の活動バランスが崩れることが示唆されています。これにより、安静時と活動時の脳の状態の切り替えがスムーズに行えなくなり得ます。
これらの変化は、加齢に伴う神経細胞やシナプスの変化、脳領域間の結合性の変化などが背景にあると考えられています。
DMNの変化が脳機能・行動に与える影響
高齢期のDMNの変化は、いくつかの認知機能や日常的な行動に関連している可能性が指摘されています。
- 注意・集中力の低下: 課題遂行時にDMNの抑制が不十分になると、外部からの情報処理に集中しにくくなり、注意が散漫になることにつながる可能性があります。
- 内省・物思いの増加: DMNの活動バランスの変化が、過去の出来事や自己に関する思考に漫然と時間を費やす傾向に影響を与えることが考えられます。
- 効率性の低下: 脳ネットワーク間の協調性の乱れは、情報処理全体の効率を低下させ、新しい情報を取り込んだり、迅速に判断したりすることを難しくする要因の一つとなり得ます。
- 認知機能低下との関連: 軽度認知障害や認知症においては、DMNの活動異常や結合性の変化がより顕著になるという研究報告もあります。ただし、DMNの変化が直接の原因であるのか、あるいは認知機能低下の結果として生じるのかなど、詳細なメカニズムについては現在も研究が進められています。
臨床現場への示唆
デフォルトモードネットワーク(DMN)の概念と高齢期におけるその変化についての理解は、日々の臨床ケアにおいていくつかの示唆を与えてくれます。
- 行動観察の視点: 高齢の患者様が「ぼんやりしている」「話しかけても反応が鈍い」「同じことを繰り返し考える」といった様子が見られる場合、これは単に意欲の問題だけでなく、脳のネットワーク活動、特にDMNに関連した状態である可能性を考える視点を持つことができます。
- 活動への誘導: 過度に内省的になったり、注意が散漫になったりしている状態は、DMNが過剰に活動している、あるいはタスク関連ネットワークとの切り替えがうまくいっていない状況かもしれません。このような場合、明確な目標を持った活動や、外部環境への注意を向けるような働きかけ(例:塗り絵、簡単な手作業、周囲の音に耳を澄ますなど)は、DMNの活動を適度に抑制し、タスク関連ネットワークの活動を促すことにつながり得ます。これは、脳のネットワーク活動のバランスを整える一助となる可能性があります。
- 説明や声かけの工夫: DMN活動が活発になっている状態では、複雑な指示や一度に多くの情報を処理することが難しくなるかもしれません。簡潔で分かりやすい指示を心がけたり、一つの課題に集中できるような環境を整えたりすることが有効です。
まとめ
デフォルトモードネットワーク(DMN)は、安静時の脳活動を支える重要なネットワークであり、高齢期にはその活動や機能的結合に変化が生じることが脳科学研究から示されています。これらの変化は、注意・集中力の低下や内省傾向の増加など、高齢者の認知機能や行動に影響を与える可能性があり、さらに認知機能低下との関連も研究されています。
DMNに関する脳科学的知見は、高齢者の日常的な様子を理解する新たな視点を提供し、より効果的なケアやコミュニケーションの方法を考える上でのヒントとなり得ます。脳の複雑なネットワーク機能への理解を深めることは、高齢期のブレインヘルス維持に向けたアプローチを考える上で非常に重要と言えるでしょう。今後も、この分野のさらなる研究成果が待たれます。